日本の原生林保護運動のページ。 ブナ原生林から自然・社会・文化・環境を発信。

エッセー・21世紀の自然と人間

エッセー・21世紀の自然と人間


非営利セクターと生命セクター

  ―はるかなるブナの森・葛根田川源流部から―

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裏岩手観光道路の反対運動での自然観察会。「生命セクター」の価値を知り、体験することが、広範囲な保護活動へと結び付いた

岳人2002.5月号 通巻659号
2002國際山岳年リレー・エッセイ
白藤 力(八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会事務局長)

テンのいる滝

ふと思い出すことがある。あのテンのいる滝のことを。
その滝は光線にさらされてキラキラ光っているのに、流れてくる水には音がない。
小石の音がころがってきた。見上げるとテンがいる。はるかを見やっているテンがいる。やがてふさふさとした尾を光らせて、谷川深く消えていった。
その滝を登り、森をかきわけ、川を渡り、崖を登りつめると、木を切るチェンソーの音が聞こえてくる。人知れぬ森が、人知れず切り開かれようとしていた。
それから3年後、大きな世論が広がり、森は守られることになった。
あれから18年、流れ星のようにテンの記憶がよみがえってくる。

葛根田川源流部の保護運動

葛根田ブナ原生林を守る会は、これまで、原生林伐採反対・スキーリゾート建設反対・山岳観光道路建設反対という三つの大きなブナ林保護運動を展開し、いずれも凍結・撤回・断念という成果を獲得している。
これらの守る会の活動によって、岩手県盛岡市西方の原生林地帯において、千五百メートル前後の山が18、大きな川や沢が14、面積にして一万ヘクタール以上のブナ林が伐採や開発から免れた。秋田側の玉川源流部も含めれば一万六千ヘクタール以上の不伐の森が南八幡平山系に出現したことになる。その結果これらの中核部分は葛根田川玉川源流部森林生態系保護地域という国の原生林保護区に指定された。これらの成果がひとつの市民運動によって実現したというのは特筆に価する。
相手となった開発側は、第一に林野庁という国の行政、第二に大手ゼネコンという大企業、第三に岩手県という地方行政であった。この大手ゼネコンは最近5千億円という債務を残して破綻し国民を驚かせた。もしリゾート開発が進行していたら、荒廃した森だけが置き去りにされ、共同出資者の地元雫石町は多額の損害を招いた可能性がある。
最近NPO法が施行され、行政・企業・市民活動に関する新たな展開をみせている。そのため非営利セクターに関わる基礎的問題点の検討が焦眉の課題となっている。

生命セクター

(比ゆ)非営利セクターとは、比ゆ的に言えば、森のようなものであり、海のようなものであると言えるだろう。森も海も一言では言い尽くせない、不可思議の世界に満ち満ちている。森も海も、複雑性と総合性に満ちた世界なのである。
(木材生産セクターの登場)ところが人間は、例えば森の中から、ひとつのものを取り出し、そしてコピーできるように規格化し画一化し、そうすることによって合理的に活用しようとする。複雑で多様な森の世界から、ひとつのもの、例えば、柱に使う木材を取り出し、それをコピーできるように画一化し商品化し、大量に木材を生産しようとする。例えば、ひとつの山にリゾート目的でスキーコースを作る。そしてそれを規格化しマニュアル化し、向こうの山にもさらに向こうの山にもスキーコースやホテルを作る。こうして森や山に木材生産セクターやスキーリゾートセクターが形成される。
(生命セクター)それでは、残されたその他の森の世界は、何と呼んだらいいのだろう。非リゾートセクターなどと呼ぶほかはないのだろうか。生命セクターと呼んでみたらどうだろうか。こう考えると木材セクターやリゾートセクターは、いわば生命セクターから生まれ、さらにそれが画一化されマニュアル化された森の一部門なのである。
(忘れられた森)ところが次第に木材セクターから森を見る、リゾートセクターから森を見るという思想が蔓延し、いつのまにか森そのものの存在すら忘れ去られてしまう。言わば木材生産セクターやリゾートセクターにいかに役立つかという思想に取り付かれてしまうのである。
やがて乱伐やホテルの乱立によって、森という生命セクターが瀕死の瀬戸際立たされると、木材セクターもリゾートセクターも立ち行かなくなり、その段階に至ると、ようやく森を思い出そうという新しい思想が少しばかり芽生え始める。この新しい思想とは、複雑性と総合性と多様性に満ちた世界、すなわち生命セクターに回帰(単なる回帰ではないが)する思想のことなのではなかろうか。

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葛根田ブナ原生林を守る会の市民運動によって1万6千haの原生林を守った。メグリ沢源流部の様子

非営利セクター

(非営利セクター)1998年にアメリカ社会の影響を強く受けてNPO法が制定された。NPOとは市民組織のことである。そこで問題とされる行政セクター・営利セクター・非営利セクターの関係も、上記の森の関係に似ている。もともと「人々の多様な活動」があったのであり、現にあるのである。そこから行政活動と営利活動(株式会社など)が生まれ、やがて行政セクターと営利セクターが形成される。そしていつのまにか人々は行政や営利の視点から自然や社会を見るようになり、ついには人間のことまでも、行政や企業にいかに役立つかという観点から見る思想に取り付かれてしまった。そして人々の多様な活動があらゆるものの源泉であるということをいつのまにか忘れてしまうのである。ところが行政の破綻と市場の失敗によって、行政セクターと営利セクターが危機に陥ると、ようやく「人々の活動」すなわち非営利活動の大切さに少しばかり気が付き始めるのである。
ところでNPO法の背景精神には極端な営利追求社会批判の見地があると見るべきだろう。その見地は日本の市民運動や住民運動が歴史的に培ってきたものである。生協運動や公害反対運動、阪神大震災のボランティア活動などと共に、とりわけ1980年代から今日まで大きく展開された全国のブナ原生林保護運動や山岳自然保護の運動がひとつの契機となって切り開かれたものと考えることができる。

(非営利セクターの未来)このように考えると、自立的な市民社会とかNPO活動という掛け声は、ごく自然なことであたりまえのことではあるが、長い変則的な歴史の変遷から見ると、未来のひとつの展望を示しているとも言える。
非営利セクターとは、多様な人間活動の中の生命セクターに関わる部門を意味し、NPO法はそれを経済活動の側面から制度化したと言うことができる。但し行政・企業・NPOの関係をどのように展望するかは、これからの経験の蓄積と論理的な分析にかかかっている。最近の非営利セクターの動向が、行政企業NPOの新しい関係をもたらすことになるのか、それとも行政企業にNPOも参加した新たな癒着構造をもたらすことになるのか。

葛根田川の雪カモシカ

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ブナの調査で葛根田川源流部にわけいる白藤力さん。89年2月松沢右岸にて

白いカモシカの話なら聞いたことがある。
雪が解けはじめて、カタクリが咲きはじめる頃、雪のように白いカモシカが、雪のように白い二匹のこどもをつれて、切り立つような絶壁から、今にも落ちそうなほど首を伸ばして、しばらく川を見下ろした後、はるかな森の方へ渡っていくのだという。
その白いカモシカなら私も見たことがある。
かつて森が切られそうになった頃、ひとりの山人が声をひそめて話しはじめた。かっこんだ川源流部というところに、忽然と現れたあの白いカモシカのことを。人々は山の守り神だとうわさした。
あれから16年、生きているのか死んでしまったのか。


地球サミットと日本の原生林保護運動

登山時報2002.7月号
白藤力  八幡平・葛根田ブナ原生林を守る会 事務局長

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岩手山のブナ林調査活動をする白藤力さん

あの森の、枝を渡る風の音が聞こえなくなったらどうしよう。あの生き生きとした谷川の流れや残雪の風景が見られなくなったらどうしよう。あのほのぼのとした山村風景が消えてしまったら。そう思いはじめたときから早くも十八年になる。
当時日本列島には原生林伐採の嵐が吹き荒れていた。すでに日本の原生的自然は残り少なくなっていた。一方知床や白神をはじめとして北海道から九州沖縄まで「原生林を守れ」の声が日本列島にこだましていた。八〇年代から九〇年代にかけて、森林自然列島か木材生産列島かリゾート列島かをめぐってきびしい戦いが展開されたのである。
葛根田川源流部もその一翼を担った。私たちは森林をめぐる自然と人間の関係を総体として捉え、それを世論に提起し世論を全体として動かすことに努力した。少なくともそういう精神で活動を進めた。全国各地のブナ林保護の運動も大きく展開しつつあった。日本勤労者山岳連盟の全国的なネットワークは、全国的な運動の展開に大きな役割を果たしたことも特筆すべきことである。
その結果、八七年葛根田川源流部の伐採が凍結され、次いで林野庁に「林業と自然保護に関する検討委員会」が設置された。八八年その委員会答申で、知床、白神、葛根田、屋久島など日本の代表的な原生林の伐採が中止され、森林生態系保護地域という名の原生林保護区が全国二六ヶ所に設定された。林野庁は世論に押されて原生林保護に緊急政策転換したのである。
それから四年後の九二年リオデジャネイロで地球サミットが開催され、持続可能な開発という言葉が若干の期待を抱かせて頻繁に登場するようになった。私たちもカンパを集めブナ林のスライド写真を託して、八木健三「日本の森を守る全国連絡会」会長を送り出した。それから一〇年、ヨハネスブルグで再び地球サミットが開催されるという。
こうした環境分野での各国のあるいは国際的取り組みの一方で、極端な営利優先の地球が急速に進行しつつある。地球上のあらゆる生命の営みが貨幣に置き換えられつつある。膨大なお金と軍事力に支配された地球とそれを支える様々な思想と国際政治がある。地球規模の営利追求の世界に翻弄される国々や部族や多くの人々がいる。
地球規模の環境問題には、環境問題を超えたもっと巨大な力と歴史の流れがある。私たちは自然環境問題に取り組むだけでなく、近代の数百年あるいは数千年にわたる自然の歴史と人間の歴史を振り返ることから始めなければならないのではなかろうか。


生物界はどのように分類されるべきか

1)長いあいだ、生物界は植物界と動物界に2大別されてきた(2界説)。遠くアリストテレスの時代から、ヘーゲルなど18世紀の哲学者や学名の命名法を発案したリンネに至るまで、こうした2界説を受け入れてきた。
2)ところが2界説には、ひとつの疑問が付きまとっていた。それは菌類(キノコの仲間)の位置付けをめぐってである。手も足もないキノコを動物と言うわけにはいかないのであるが、葉がないキノコが植物だということにも一抹の不安があった。18世紀には、キノコは葉のない植物である(リンネ)とか、動物と植物の中間物である(ヘーゲルなど)などと説明され、教科書でもつい最近まで菌類は植物の一群として扱われてきた。
3)しかし生物学と周辺科学の発達につれて、すべての生物を植物と動物に分けることに無理が生じてきた。そしてこの2界説に訣別をもたらしたひとつの誘引は、不遇の日々を送っていた菌類の追跡者たちだった。菌類は植物の単なる変形物ではなく、ひとつの独立界だという主張である。
約10億年前に原生生物から植物と動物と菌類が分化し、そのときから菌類は一大生物群を形成し、記録されているものだけでも10万種に及び、その推定種数は50万とも150万とも言われている。
4)系統樹を作成したヘッケルは、植物・動物・原生動物の3界に分類していたが、20世紀も後半になると5界説の提唱者ホイタッカーによって菌類の独立界性が明らかにされた。ホイタッカーは、植物を有機物の生産者・動物を消費者・菌類を分解者(還元者)ととらえ、分解者としての菌類の物質循環における役割を解明した。5界説とは、生物界は原核生物界(バクテリア)・原生生物界・植物界・菌類界・動物界の5界に大別する分類体系である。
その後、先駆的な菌学者や林学者によって、森林と菌類の相互の関係は、森づくりの重要なテーマであることが主張されるようになった。そして菌類の界としての独立性は、近年脚光をあびている分子系統学によっても支持されているという。
菌学という個別分野の専門科学が、生態系という総合的な科学思想と結合したとき、はじめて生物の大枠についての新しい認識の転換をもたらしたというこの一連の歴史的経過も注目すべきことである。
市民による生態系を考えた森づくりを企画する上で、界の認識と多様性の認識は不可欠のテーマなのである。(多様性については次回)(筆・白藤力 2006.4.13)



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