日本の原生林保護運動のページ。 ブナ原生林から自然・社会・文化・環境を発信。

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ブナ林にニオイコブシの咲く頃

''ニオイコブシの咲く頃''

雪が解けはじめると山々にもようやく春が訪れる。

雑木林ではキタコブシが散りはじめ、

ブナ林ではニオイコブシが咲きはじめる。

白い起伏をさえぎるようにブナノキが長くくっきりとうかんでいる。。

ザックザックとその影を追いかけると、残雪がいっそうまぶしく光りはじめた。

するとどこからか、どこからともなく聞こえてくる音がある。

にぶい低音のメロディーのように、ザサッザーザサッザーと聞こえてくる。

埋もれた枝が雪とたわむれる音のようにも聞こえる。

ときおりかすかに、遠くから近くから聞こえてくる。

ニオイコブシが咲いていた。

重たい雪を押し上げて飛び出すと、しなやかな枝がカモシカのように躍動する。

そのときから雪はみずみずしい流れとなって旅立ち、枝は芽をふくらませ白い花を咲かせるのである。

空を仰ぐと、すでにブナノキが芽吹いていてまぶしかった。

雪と枝がかなでるにぶい低音のメロデーがかすかに消えるようにこだましている。


カタクリ

雑木林ではカタクリが咲く頃、ブナ林では雪がきらきらと光りはじめる。

日を浴びた残雪の流れの隙間から、カタクリが芽を出している。

その残雪は雪原を走る野うさぎのように暖かいのだ。


もうひとつの森

森林の変貌は人間社会の反映

ブナの原生林と、雑木林とでは、生えている木も草も花も、土壌も地形も、ずいぶん違う。
針葉樹人工林(木材生産林)になると、その違いはもっと大きくなる。

ブナの原生林には、はるかな森の歴史がある。

雑木林や里山には、遠い人々のなつかしい風景がある。

針葉樹人工林には、振動病に苦しんだ山林労働者の苦悩と経済の残影がある。

このような森林の変貌は、人間社会の反映でもある。


もうひとつの森

「ブナの原生林が絶滅の危機に瀕しているから残さなければならない。」
これは文化的な要求だともいえる。現世代の後世代に対する道徳的な責務だともいえる。

ところで、森林には一次林と呼ばれる原生的森林のほかに、生活や生産と結びついたもうひとつの森林がある。
たとえば里山とか二次林といわれる森林である。
この森にも自然がある。

1980年代から今日までの私たちの運動は、原生的森林からの、そのまた一部の森からの、ささやかなアピールにすぎないのである。

「大部分を占めるもうひとつの森」は、どのような問題をはらんでおり、そしていつ、どのような経過をたどって甦るのか。それをだれかが問わなければならない。

(はるかなるブナの森 1994年 八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会発行より抜粋)


岩手山の森づくり

私たちはこの25年間、奥山に広がるブナ原生林保護運動を展開してきた。
それが8年前から岩手山の森再生運動にも取り組み始めた。
そのニュースは各方面に反響を呼んでいる。

そして今、岩手県の自然の象徴であり、石川啄木によって「ふるさとの山」と歌われ、宮沢賢治によって「風さむき岩手の山」と歌われた岩手山において、「大部分を占めるもうひとつの森」の問題にとりくむことになった。

「ブナ原生林」から「もうひとつの森」への取り組みは、私たちにとって自然な流れでもある。




ブナの芽生えとブナの大木

ブナの芽生え

ブナの芽生え

ブナの芽生え・アキトリ沢左岸尾根・葛根田川源流部・6月上旬


ブナの大木

ブナの大木

ブナの大木・南白沢左岸尾根・葛根田川源流部・900m付近・樹齢300年・6月下旬




ブナ林の風景

遠景・葛根田ブナ原生林


葛根田原生林-南東方面
遠景・残雪の道1・ブナ林観察会コース・遠方は高倉山から三角山の稜線・葛根田原生林・6月上旬
 

葛根田原生林-南東方面
遠景・残雪の道2・遠方は左から高倉山・(丸森)・三角山・ざる森の稜線・葛根田原生林・6月中旬


ブナ林がはぐくむ葛根田川

紅山桜の咲く葛根田川
ベニヤマザクラの咲く葛根田川 周辺はブナ原生林 6月上旬

ブナ林観察会風景写真

ブナ林観察会風景
ブナ林が続く登山道




ニュース・話題・お知らせ


東京ボロ市における「ブナの店」の開設

  • ブナの店は、ブナ林の大切さを広く伝えるために、開かれています。
ボロ市ブナの店

当会は1997年より毎年ブナの店を東京ボロ市に開店しています。
人々の楽しい交流の場ともなっています。

世田谷住民の支援を得て、手作り店舗を開設し、ブナ林の解説資料やブナの苗木や種・手作り作品の展示販売もしております。
撮影年月2009.12.15

岩手の自然やブナ林の紹介、葛根田の種から育てたブナの苗木販売をしています。
ボロ市見学の際はお立ち寄りください。

  • 交通案内
鉢植えブナ苗木

日時 毎年12月15日16日と1月15日16日に開かれます。午前9時~午後9時まで
場所 東京世田谷のボロ市通り

地下鉄三軒茶屋で世田谷線に乗り換え、上町駅又は世田谷駅下車すぐ。

ブナの店は代官屋敷やボロ市本部近くの便利な場所にあります。


スピーカーで呼びかけ

ボロ市は、楽市の400年以上の伝統を継承する東京で一番大きな市です。700店舗の露店が集まり、連日20万人が訪れます。

中学生も応援

ブナの苗木は、盛岡市民が自然観察会の折に、葛根田の森から種を拾って、盛岡市郊外にある、守る会の畑で育てたものです。苗木の生まれ故郷は葛根田川源流部というわけです。

庭に植える、鉢植えにする、盆栽にする、林を作る、など多様な目的で植えることが出来ます。
普通に植えてよい。鉢植えや屋内の場合は乾燥に注意。

中学生も応援

700もの露天商が並ぶボロ市に一風変わったブナの店
近くの中学生も応援






  • ボロ市夜景
ボロ市ブナの店夜景

開店時間は午前9時から午後9時まです。
夜遅くまで人が途絶えることはありません。







ボロ市ブナの店夜景

寒い季節ですが楽しいこともいっぱいあるよ。

  • 熱海のブナたち
熱海のビル屋上のブナ

熱海のホテルの屋上で育てられているブナ
撮影 2004.4.21  大河原哲(熱海市)

会員・購読者からの手紙 熱海市大河原さんのおたより(2004.4.21)
葛根田のブナたちは、もう目を覚ましましたか。熱海のブナたちは、みんな元気に春を迎えました。種から生まれたブナも4才になりました。これから半年、元気に育ってほしいと願っているわたしです。

(返事・葛根田のブナは、雪が解けはじめる6月上旬に芽が出てきます。盛岡・白藤)

会員・通信購読者からの手紙 熱海市大河原さんから(2001.3.23)
「ちょっとうれしいことがありましたのでおたよりします。ブナの種をポリ鉢に蒔いたところ一本芽が出てきました(2・25)。それを皮切りに、今では6つも芽が出ており(3・20)、あと2本も種が土から持ち上がっており、発芽予定です。毎日ブナの成長を見るのが楽しみです。

目の前が熱海の海で、その屋上の鉢でどこまで育つか気がかりです。
土は近くの雑木林からです。
それとブナの苗木を植えたのは(3年前に2歳)いま新葉が展開中です。今年のボロ市に持って行こうかと思っています。」

  • 東京のブナたち
東京のブナ

写真は東京葛飾区の会沢修さんの自宅。1993年にブナ全国集会東京明治大学開催の折、当守る会から種を購入したもの(7歳、140cm)。


  • 「三宿の森緑地」(7958㎡)が開園  開園日2004.4.1
       東京都世田谷区三宿(三軒茶屋駅下車徒歩15分)

 葛根田のブナの苗木も記念樹に

画像の説明

三宿の森の10年後



画像の説明  画像の説明
ブナを植える世田谷の人たち 2004.3.21


画像の説明

三宿の森の開園準備をする世田谷区の人々 撮影 会沢修

国(法務省)の土地が、世田谷区に移転され、その活用方法が問題になりました。地域住民の方々の数年間に渡る努力によって、世田谷区民の憩いの緑地・防災の緑地として活用されることになりました。そして開園記念樹としてブナの苗が植えられることになりました。地域住民の皆様方とボロ市ブナの店世田谷連絡事務所さん、たいへんありがとうございます。


葛根田川・玉川源流部森林生態系保護地域・周辺概念図

周辺案内図


21世紀の自然と人間(寄稿文)


非営利セクターと生命セクター

  ―はるかなるブナの森・葛根田川源流部から―

画像の説明

裏岩手観光道路の反対運動での自然観察会。「生命セクター」の価値を知り、体験することが、広範囲な保護活動へと結び付いた

岳人2002.5月号 通巻659号
2002國際山岳年リレー・エッセイ
白藤 力(八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会事務局長)

テンのいる滝

ふと思い出すことがある。あのテンのいる滝のことを。
その滝は光線にさらされてキラキラ光っているのに、流れてくる水には音がない。
小石の音がころがってきた。見上げるとテンがいる。はるかを見やっているテンがいる。やがてふさふさとした尾を光らせて、谷川深く消えていった。
その滝を登り、森をかきわけ、川を渡り、崖を登りつめると、木を切るチェンソーの音が聞こえてくる。人知れぬ森が、人知れず切り開かれようとしていた。
それから3年後、大きな世論が広がり、森は守られることになった。
あれから18年、流れ星のようにテンの記憶がよみがえってくる。

葛根田川源流部の保護運動

葛根田ブナ原生林を守る会は、これまで、原生林伐採反対・スキーリゾート建設反対・山岳観光道路建設反対という三つの大きなブナ林保護運動を展開し、いずれも凍結・撤回・断念という成果を獲得している。
これらの守る会の活動によって、岩手県盛岡市西方の原生林地帯において、千五百メートル前後の山が18、大きな川や沢が14、面積にして一万ヘクタール以上のブナ林が伐採や開発から免れた。秋田側の玉川源流部も含めれば一万六千ヘクタール以上の不抜の森が南八幡平山系に出現したことになる。その結果これらの中核部分は葛根田川玉川源流部森林生態系保護地域という国の原生林保護区に指定された。これらの成果がひとつの市民運動によって実現したというのは特筆に価する。
相手となった開発側は、第一に林野庁という国の行政、第二に大手ゼネコンという大企業、第三に岩手県という地方行政であった。この大手ゼネコンは最近5千億円という債務を残して破綻し国民を驚かせた。もしリゾート開発が進行していたら、荒廃した森だけが置き去りにされ、共同出資者の地元雫石町は多額の損害を招いた可能性がある。
最近NPO法が施行され、行政・企業・市民活動に関する新たな展開をみせている。そのため非営利セクターに関わる基礎的問題点の検討が焦眉の課題となっている。

生命セクター

(比ゆ)非営利セクターとは、比ゆ的に言えば、森のようなものであり、海のようなものであると言えるだろう。森も海も一言では言い尽くせない、不可思議の世界に満ち満ちている。森も海も、複雑性と総合性に満ちた世界なのである。
(木材生産セクターの登場)ところが人間は、例えば森の中から、ひとつのものを取り出し、そしてコピーできるように規格化し画一化し、そうすることによって合理的に活用しようとする。複雑で多様な森の世界から、ひとつのもの、例えば、柱に使う木材を取り出し、それをコピーできるように画一化し商品化し、大量に木材を生産しようとする。例えば、ひとつの山にリゾート目的でスキーコースを作る。そしてそれを規格化しマニュアル化し、向こうの山にもさらに向こうの山にもスキーコースやホテルを作る。こうして森や山に木材生産セクターやスキーリゾートセクターが形成される。
(生命セクター)それでは、残されたその他の森の世界は、何と呼んだらいいのだろう。非リゾートセクターなどと呼ぶほかはないのだろうか。生命セクターと呼んでみたらどうだろうか。こう考えると木材セクターやリゾートセクターは、いわば生命セクターから生まれ、さらにそれが画一化されマニュアル化された森の一部門なのである。
(忘れられた森)ところが次第に木材セクターから森を見る、リゾートセクターから森を見るという思想が蔓延し、いつのまにか森そのものの存在すら忘れ去られてしまう。言わば木材生産セクターやリゾートセクターにいかに役立つかという思想に取り付かれてしまうのである。
やがて乱伐やホテルの乱立によって、森という生命セクターが瀕死の瀬戸際立たされると、木材セクターもリゾートセクターも立ち行かなくなり、その段階に至ると、ようやく森を思い出そうという新しい思想が少しばかり芽生え始める。この新しい思想とは、複雑性と総合性と多様性に満ちた世界、すなわち生命セクターに回帰(単なる回帰ではないが)する思想のことなのではなかろうか。

画像の説明

葛根田ブナ原生林を守る会の市民運動によって1万6千haの原生林を守った。メグリ沢源流部の様子

非営利セクター

(非営利セクター)1998年にアメリカ社会の影響を強く受けてNPO法が制定された。NPOとは市民組織のことである。そこで問題とされる行政セクター・営利セクター・非営利セクターの関係も、上記の森の関係に似ている。もともと「人々の多様な活動」があったのであり、現にあるのである。そこから行政活動と営利活動(株式会社など)が生まれ、やがて行政セクターと営利セクターが形成される。そしていつのまにか人々は行政や営利の視点から自然や社会を見るようになり、ついには人間のことまでも、行政や企業にいかに役立つかという観点から見る思想に取り付かれてしまった。そして人々の多様な活動があらゆるものの源泉であるということをいつのまにか忘れてしまうのである。ところが行政の破綻と市場の失敗によって、行政セクターと営利セクターが危機に陥ると、ようやく「人々の活動」すなわち非営利活動の大切さに少しばかり気が付き始めるのである。
ところでNPO法の背景精神には極端な営利追求社会批判の見地があると見るべきだろう。その見地は日本の市民運動や住民運動が歴史的に培ってきたものである。生協運動や公害反対運動、阪神大震災のボランティア活動などと共に、とりわけ1980年代から今日まで大きく展開された全国のブナ原生林保護運動や山岳自然保護の運動がひとつの契機となって切り開かれたものと考えることができる。

(非営利セクターの未来)このように考えると、自立的な市民社会とかNPO活動という掛け声は、ごく自然なことであたりまえのことではあるが、長い変則的な歴史の変遷から見ると、未来のひとつの展望を示しているとも言える。
非営利セクターとは、多様な人間活動の中の生命セクターに関わる部門を意味し、NPO法はそれを経済活動の側面から制度化したと言うことができる。但し行政・企業・NPOの関係をどのように展望するかは、これからの経験の蓄積と論理的な分析にかかかっている。最近の非営利セクターの動向が、行政企業NPOの新しい関係をもたらすことになるのか、それとも行政企業にNPOも参加した新たな癒着構造をもたらすことになるのか。

葛根田川の雪カモシカ

画像の説明

ブナの調査で葛根田川源流部にわけいる白藤力さん。89年2月松沢右岸にて

白いカモシカの話なら聞いたことがある。
雪が解けはじめて、カタクリが咲きはじめる頃、雪のように白いカモシカが、雪のように白い二匹のこどもをつれて、切り立つような絶壁から、今にも落ちそうなほど首を伸ばして、しばらく川を見下ろした後、はるかな森の方へ渡っていくのだという。
その白いカモシカなら私も見たことがある。
かつて森が切られそうになった頃、ひとりの山人が声をひそめて話しはじめた。かっこんだ川源流部というところに、忽然と現れたあの白いカモシカのことを。人々は山の守り神だとうわさした。
あれから16年、生きているのか死んでしまったのか。


地球サミットと日本の原生林保護運動

登山時報2002.7月号
白藤力  八幡平・葛根田ブナ原生林を守る会 事務局長

画像の説明
岩手山のブナ林調査活動をする白藤力さん

あの森の、枝を渡る風の音が聞こえなくなったらどうしよう。あの生き生きとした谷川の流れや残雪の風景が見られなくなったらどうしよう。あのほのぼのとした山村風景が消えてしまったら。そう思いはじめたときから早くも十八年になる。
当時日本列島には原生林伐採の嵐が吹き荒れていた。すでに日本の原生的自然は残り少なくなっていた。一方知床や白神をはじめとして北海道から九州沖縄まで「原生林を守れ」の声が日本列島にこだましていた。八〇年代から九〇年代にかけて、森林自然列島か木材生産列島かリゾート列島かをめぐってきびしい戦いが展開されたのである。
葛根田川源流部もその一翼を担った。私たちは森林をめぐる自然と人間の関係を総体として捉え、それを世論に提起し世論を全体として動かすことに努力した。少なくともそういう精神で活動を進めた。全国各地のブナ林保護の運動も大きく展開しつつあった。日本勤労者山岳連盟の全国的なネットワークは、全国的な運動の展開に大きな役割を果たしたことも特筆すべきことである。
その結果、八七年葛根田川源流部の伐採が凍結され、次いで林野庁に「林業と自然保護に関する検討委員会」が設置された。八八年その委員会答申で、知床、白神、葛根田、屋久島など日本の代表的な原生林の伐採が中止され、森林生態系保護地域という名の原生林保護区が全国二六ヶ所に設定された。林野庁は世論に押されて原生林保護に緊急政策転換したのである。
それから四年後の九二年リオデジャネイロで地球サミットが開催され、持続可能な開発という言葉が若干の期待を抱かせて頻繁に登場するようになった。私たちもカンパを集めブナ林のスライド写真を託して、八木健三「日本の森を守る全国連絡会」会長を送り出した。それから一〇年、ヨハネスブルグで再び地球サミットが開催されるという。
こうした環境分野での各国のあるいは国際的取り組みの一方で、極端な営利優先の地球が急速に進行しつつある。地球上のあらゆる生命の営みが貨幣に置き換えられつつある。膨大なお金と軍事力に支配された地球とそれを支える様々な思想と国際政治がある。地球規模の営利追求の世界に翻弄される国々や部族や多くの人々がいる。
地球規模の環境問題には、環境問題を超えたもっと巨大な力と歴史の流れがある。私たちは自然環境問題に取り組むだけでなく、近代の数百年あるいは数千年にわたる自然の歴史と人間の歴史を振り返ることから始めなければならないのではなかろうか。


生物界はどのように分類されるべきか

1)長いあいだ、生物界は植物界と動物界に2大別されてきた(2界説)。遠くアリストテレスの時代から、ヘーゲルなど18世紀の哲学者や学名の命名法を発案したリンネに至るまで、こうした2界説を受け入れてきた。
2)ところが2界説には、ひとつの疑問が付きまとっていた。それは菌類(キノコの仲間)の位置付けをめぐってである。手も足もないキノコを動物と言うわけにはいかないのであるが、葉がないキノコが植物だということにも一抹の不安があった。18世紀には、キノコは葉のない植物である(リンネ)とか、動物と植物の中間物である(ヘーゲルなど)などと説明され、教科書でもつい最近まで菌類は植物の一群として扱われてきた。
3)しかし生物学と周辺科学の発達につれて、すべての生物を植物と動物に分けることに無理が生じてきた。そしてこの2界説に訣別をもたらしたひとつの誘引は、不遇の日々を送っていた菌類の追跡者たちだった。菌類は植物の単なる変形物ではなく、ひとつの独立界だという主張である。
約10億年前に原生生物から植物と動物と菌類が分化し、そのときから菌類は一大生物群を形成し、記録されているものだけでも10万種に及び、その推定種数は50万とも150万とも言われている。
4)系統樹を作成したヘッケルは、植物・動物・原生動物の3界に分類していたが、20世紀も後半になると5界説の提唱者ホイタッカーによって菌類の独立界性が明らかにされた。ホイタッカーは、植物を有機物の生産者・動物を消費者・菌類を分解者(還元者)ととらえ、分解者としての菌類の物質循環における役割を解明した。5界説とは、生物界は原核生物界(バクテリア)・原生生物界・植物界・菌類界・動物界の5界に大別する分類体系である。
その後、先駆的な菌学者や林学者によって、森林と菌類の相互の関係は、森づくりの重要なテーマであることが主張されるようになった。そして菌類の界としての独立性は、近年脚光をあびている分子系統学によっても支持されているという。
菌学という個別分野の専門科学が、生態系という総合的な科学思想と結合したとき、はじめて生物の大枠についての新しい認識の転換をもたらしたというこの一連の歴史的経過も注目すべきことである。
市民による生態系を考えた森づくりを企画する上で、界の認識と多様性の認識は不可欠のテーマなのである。(多様性については次回)(筆・白藤力 2006.4.13)




資料編

八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会の活動紹介

雫石川上流葛根田川源流部における広大なブナ原生林の保護運動を主な目的として1987年に発足しました。

これまで、原生林伐採・リゾート建設・山岳観光道路建設という三つの大きなブナ林保護運動(開発反対運動)を展開し、いずれも凍結・撤回・断念中止という成果を獲得しています。

これらの守る会の活動によって、岩手山西方の原生林地帯において、千五百メートル前後の山が17、大きな川や沢が14、面積にして一万ヘクタール以上のブナ林が伐採や開発から免れました。

さらに1990年には三日間のべ1600名の参加を得て「原生林盛岡全国シンポジウム」(報告集・盛岡市立図書館)を開催しました。

日常の活動は、①葛根田原生林からの通信の発行。年2~3回。発行部数500部。②自然観察会や市民登山の開催。③市民の自然写真展の開催。④東京ボロ市でのブナの森の店開設と手作り作品教室。⑤苗畑とブナの苗木の育成。⑥シンポジウムやNPOゼミナールの開催。⑦ホームページの作成やパソコン教室の開催。⑧全国の保護団体との交流。⑨なお会員・通信購読者合わせて約400人。素朴な会です。10人前後の運営委員会で運営しています。いつも変化しようとしている。⑩なお「はるかなるブナの森」出版(購入先・盛岡てづくり村)


葛根田ブナ原生林を守る会活動年表


葛根田川源流部伐採計画反対運動

1984       葛根田林道に建設着手
1985       葛根田川源流部でブナ林の伐採始まる
1986.6.10    原生林研究会発足
1986.10.9    岩手県と対県交渉 現地レポート作成
1986.12.15    岩手県政記者クラブでアピール
1987.2.28    盛岡市で葛根田原生林シンポジウム開催
1987.3.28    八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会結成大会

(1987.4.14   林野庁が知床原生林で伐採強行・機動隊導入)

1987.5.31    第一回現地観察会(200名)

1987.10.3    林野庁が葛根田国有林伐採計画の凍結を発表

1987.10.18   林野庁が「林業と自然保護に関する検討委員会」を東京に設置

(1987.11月   白神山地で保安林解除に反対する意義意見書の提出運動展開される)

(1988.6    長野市で第一回原生林シンポ(ブナ全国集会)が開催される)

1988.12.7    知床・白神・葛根田など全国12地域が保護地域に指定される
         林業と自然保護に関する検討委員会が報告書を提出

(1989.    北海道斜里町で第2回原生林シンポ開催)
(1990.10.13~16  盛岡市で第3回原生林シンポ開催(ブナ全国集会)が開催される)

1990.10.5     葛根田川源流部森林生態系保護地域設定委員会第一回会合
          委員(白藤力、中村正、由井正敏、菅原亀悦など)
1991.4.1      「葛根田川・玉川源流部森林生態系保護地域」が発足


原生林盛岡全国シンポジウム

1989.12.20     ブナ全国集会の盛岡開催を呼びかける(葛根田原生林からの通信11号)
1990.1.14      岩手県実行委員会準備会発足(12団体22名)
1990.1.28      東北ブナシンポ・東北規模実行委員会準備会発足(23団体55名)
1990.4.1      「原生林盛岡全国シンポ実行委員会」結成大会(東北規模)(34団体60名)
           (事務局 葛根田ブナ原生林を守る会)
1990.10.13~15    ブナ・原生林・自然を守る全国集会(24都道府県から773名)
1991.2.1       大会報告集を出版(1800円、3000部)


国見スキーリゾート計画反対運動

1989.4      雫石町民から安栖沢源流部ブナ林保護を守る会にアピール
1992.2.12      守る会が情報公開の請求
1992.3~4     守る会が開発会社、雫石町、雫石営林署、岩手県と相次いで会談
1992.5.31      第一回現地観察会(100名)ヘリコプター2機飛ぶ(守る会とテレビ朝日)
1992.6.20      国見スキー場シンポジウムを開催(100名)
1992.8.28      雫石町が諮問委員会を設置(委員 白藤力、上野靖雄、藤井忠志など)
1992.9.1~18     市民の自然写真展を開催
1992.12.11     同諮問委員会が早期実現の答申
1993.3.1      反対署名運動を開始
1993.6.28      一万名を超える反対署名を提出(10727名)
1994.3.11      林野庁に要請活動

1996.8~10      雫石町と開発会社が相次いで断念を表明


一般県道雫石東八幡平線(通称・奥産道)建設反対運動

  • 第一期(前史)
    1965      岩手県が一般県道として工事着手
              (奥地産業開発道路臨時措置法に基づく国庫補助事業)
    1971        工事中断(当時の自然保護団体の反対によって)
    1984        工事再開
    (山頂部トンネルとする案が当時の自然保護団体を含む行政と関係者の合意で採用される)
    1985~1996     大松倉橋を建設し、さらに3キロ進み、トンネル建設予定現地
             (三ツ石湿原約1キロ手前)まで進む。
  • 第二期(葛根田ブナ原生林を守る会の反対運動)
    1996.7.25   トンネル工事現場付近で原生林破壊事件発覚
    1996.7.28  八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会が建設反対運動を開始
            守る会が現地緊急調査 工事ストップ
    1996.8.9   岩手県知事に中止要望書を提出(復旧対策と工事続行断念を要請)
    1996.9.21  奥産道の自然を考えるシンポジウムを開催(100名)  
    1996.9.29 第一回現地観察会(110名)
  • 第三期(道路検討委員会の活躍)
    1997.5.21  県が検討委員会を設置 委員 村井宏岩大教授 永野正造守る会長など
    1998.1.29    県民意見発表会を開催
    1998.3    岩手山が火山活動を開始 98.8.20 同検討委が提言を答申
    1998.9.3   葛根田ブナ原生林内で断層地震発生(M6.1)
             守る会6人が現場近くを調査登山中。温泉客と共にヘリで救出される
    1998.9.18   守る会が震度6を語る会を開催
  • 第四期(岩手県土木部の活躍)
    1998.9.30   県知事が11月中に結論を出すと表明
    1998.10.22   土木部が代替案を発表
    1998.11.2    土木部が県民から意見を聞く会を開催
    1998.11.4    土木部がアンケート調査を発表
    1998.11.9    知事が11.18に決断と発表
  • 第五期(守る会の活躍と知事の断念表明)
    1998.11.11 守る会が緊急活動計画を発表
    1998.11.12 守る会が15項目の緊急要請書を岩手県知事に提出
             全国20団体とともに(大雪の自然を守る会、長野県自然保護連盟など)
    1998.11.14 守る会が松川工区の緊急現地調査(豪雨)
    1998.11.16 守る会が緊急市民集会を開催 3項目のアピール採択
    1998.11.17 守る会が3項目のアピールを県知事に提出
    1998.11.18 岩手県知事がトンネル建設工事目前にして工事中止を表明
  • 第六期(建設済み部分80%の活用方法をめぐって)
    2000.8.30 同道路活用検討委員会設置
     委員18人 安藤昭岩大教授、上野靖雄、白藤力、中村正、高橋一行、由井正敏、菅原亀悦、林敦子、内澤稲子、幸丸正明、中原祥皓、佐藤義正、矢羽々文一郎、矢羽々昭夫、川口善也、佐々木正四郎、福島雅喜、関山和敏
    2000.11.11   守る会が市民サイドシンポジウムを開催
    2001 県の委員会が原生林保護を重視する答申を提出/4キロ手前(大松倉橋)でマイカー規制




入会案内

入会案内――――――八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会
八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会 
〒020-0064岩手県盛岡市梨木町4-30白藤力(方)tel,fax 019-651-1760
Eメールアドレス kakkondagawa@hotmail.co.jp
         kakkondagawa@hotmail.com
ホームページアドレス(URL)
         http://morioka.cool.ne.jp/kakkonda/
         http://kakkondagawa.bunarin.com/

①守る会の紹介
守る会は市民の交流の場です。ネットワーク型の緩やかな会です。
機関紙「葛根田原生林からの通信」を発行しています(年2~3回発行)。
会員は北海道から九州まで約350人。ブナの原生林をテーマとする多様な活動を展開中。会員(通信が送られる)や通信購読者を募集しています。 

②会費
会員            年会費  1000円(通信購読費を含む)
通信購読者(メール会員)  年購読費 1000円

③運営
10人前後の運営委員が必要に応じて運営委員会を開催。 誰でも参加できます

④多様な市民活動を展開中
自然観察会の開催、登山、沢歩き、        毎年7~8回
ブナの森の店開設(東京)            1997から毎年開催
市民の自然写真展の開催             1998 から毎年開催
健康ハイキング、温泉旅行            時々企画
シンポジウム、講演会、学習会          時々企画
手作り作品教室、パソコン教室          時々企画
植樹活動、ブナの苗畑育成、ブナの苗木販売    毎年企画
岩手山の森再生運動               2002年から森づくり
日本の森と自然を守る全国集会        毎年参加

⑤申込書
氏名
住所 〒
電話
ファックス
eメール
メモ欄(趣味など) 


リンク

一般参加行事のお知らせ?


岩手山の森づくり


葛根田原生林からの通信(抜粋)?


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