日本の原生林保護運動のページ。 ブナ原生林から自然・社会・文化・環境を発信。

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第11回市民の自然写真展作品募集

第11回「市民の自然写真展」開催の案内(企画書) 2016.3.28作成

主催       市民の自然写真展企画委員会
         (八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会内)
後援       
         盛岡市
         岩手日報社、朝日新聞盛岡総局
         毎日新聞盛岡支局、河北新報社盛岡総局、盛岡タイムス
         NHK盛岡放送局、IBC岩手放送
         テレビ岩手、めんこいテレビ、岩手朝日テレビ

開催日時     2016年5月20日(金)~5月22日(日)
          盛岡市上田公民館創作展示室(℡ 019-654-2333)
展示時間     10:00~17:00★(19:00まで延長)  
         但し最終日は午後4時まで 入場無料

申込み方法    はがき又はメールにて、氏名・住所・電話番号を記載。
         初めての方、青少年歓迎。よい思い出になります。
作品提出日    5月19日(木)14時~16時上田公民館にて受け付けます。
         額入りの作品をお持ちください。
         無料・審査なし。一人2作品まで可。 撮影年月日入りのも可。
         なお当日来られない方は電話かメールで問い合わせてから
         写真のみ(四つ切サイズ)下記住所まで送ってください。
返却日      5月22日16時~16時30分、会場にて。17時会場閉鎖。
作品のテーマ   自然をテーマにしたものであれば、
         具体的なテーマやジャンル、写真サイズは問いません。
         (参考までに、4つ切り又は4つ切りワイド程度のを基本)
応募資格     年齢、居住地など特別な資格なし。
         初めての方や青少年歓迎。県内外から募集。
         写真技術にこだわらない自由な写真をお持ちください。

関連企画     「八幡平大松倉沢のブナ林と地熱発電計画」

問合せ先     市民の自然写真展企画委員会事務局 
         盛岡市梨木町4-30 白藤力 Tel 019-651-1760
         hachimantai@bunarin.com
         http://kakkondagawa.bunarin.com/


趣旨    市民の自然写真展は、岩手をはぐくむふるさとの山河から、ブナの森や自然の美しさ・大切さを、広く県内外に伝えるために行われるものです。
性格    一般の方々に作品を展示する機会を提供する、一般市民の展示広場という性格のユニークな写真展です。作品は広く県内外から募集。だれでも出品できる、親しみのある、市民参加型の写真展です。写真技術にとらわれない様々なテーマの写真が寄せられ、連日多数の人々が閲覧に訪れ、市民の文化交流の大切な機会となっています。
経過 市民の写真展は、1992年9月1日~18日に盛岡市の後援を得て、市内8会場で18日間開催され、知床や東北各県、そして一般市民が出展した360点を展示し、関連企画として自然写真シンポジウム(湧清水のブナ林とスキーリゾート計画)を開催しました。
その後2回の中断がありますが、これまで10回開催し、毎回大きな反響を得てきました。



沖縄辺野古・サンゴ礁の海について思う


◆ 日本とはどんな国ですか?

  • 日本列島の脊梁山脈に広がるブナの森などの多様な森林
  • 暖流(黒潮)と寒流(親潮)が交差する海
  • 南の島に広がるサンゴの海

人々はこれらの豊かな森と海の恩恵を受けて暮らしています。

実は日本の経済力の秘密も、日本の田園の風景も、

日本列島の自然に守られているおかげなのです。

◆サンゴ礁生態系は、

地球の自然を支える上での、最も大切な生態系のひとつです。

そのため海の熱帯林とも言われています。

サンゴ礁生態系が地球の自然生態系にとって、

如何に大切かということは、

すこし調べてみればすぐわかりますので、ここでは割愛します。

日本の海には北から寒流が流れこんでいる一方で、

南から暖流が流れてこんでいるために、

北限のサンゴの海が広がっています。

沖縄のサンゴの海のおかげで、

日本列島の自然の多様性は一層大きくなっています。

サンゴ礁の広がる海は、

単に沖縄だけでなく、日本という国にとっても極めて大切なものです。

ところが人間の活動の拡大に伴い、世界的にサンゴ礁の劣化が進んでいます。

日本も、そして沖縄も、例外ではありません。

その原因は、漁業における乱獲、陸地での開発による土砂流入、

化学肥料農業による富栄養化などの複合的原因があげられます。

そのため沖縄の人々はサンゴ礁の保護再生のために多様な活動を展開しています。

◆現在特に注目すべきなのは、軍事基地建設によるサンゴ礁生態系の破壊の問題です。

アメリカはかつて世界最大規模のサンゴ礁が広がっているビキニ環礁地域を

核実験の実験場にして破壊し、

今なお住民は放射能汚染に苦しめられています。

そして今また日本政府の後押しで、

沖縄の辺野古のサンゴ礁に軍事基地を作ろうとしています。

中国が埋め立てを進めている岩礁も、おそらくサンゴ礁が含まれていると思われます。

サンゴ礁は、自然環境だけでなく、

地域の永続的な産業や観光資源を育てる上でも貴重なものです。

サンゴ礁生態系を保護再生することは、地球市民の責務なのです。



原発は自然生態系の原点を汚染する

キノコ(菌根菌と腐生菌)に象徴される菌類生態系が放射能に汚染されるということは

地球の自然生態系の原点が

汚染されているということです。

人間に例えれば、

心臓や血液が放射能で汚染されているということです。

キノコたちの菌糸は森の血管の役割をしています。

菌根菌の菌糸は地中にある無機栄養(窒素やリン)と水を森中に配る栄養の輸送パイプラインです。

菌根菌に放射能が濃縮されるのはそのためです。

キノコたちの活躍する

腐生菌生態系循環システムと

菌根菌生態系共生システムは、

地球生態系の原点を支える二大テーマです。

みんなで力を合わせてキノコたちのこれ以上の放射能汚染を防ぎましょう。

そうでなければ人類の生存の危機にかかわります。


生命の歴史は放射線との戦いの歴史です。

<生命の歴史と放射線>

オゾン層の形成という宇宙からの放射線防御システム

菌類生態系という地球規模の共生システムと循環システムは、

地球の生命が40億年もかけて

やっとの思いで作り上げたものです。

地球生命の誕生は、放射線が届かない深海底で生まれました。

地球生命の歴史は宇宙から降り注ぐ放射線との戦いの歴史です。

その生命誕生のときから生命は放射線との戦いの連続でした。

46億年前に地球が誕生し

40億年前に生命誕生が誕生し

そして今から5億年前に、

酸素が大気に溢れるようになり、

オゾン層が形成され、

紫外線を遮れるようになり、

そうしてようやく生物は海から陸上に上陸できるようになりました。

地球が生まれた時は大気に分子状酸素(遊離酸素O2)がありませんでした。

酸素に満ちた大気を作ったのは

海に住んでいたシアノバクテリアというバクテリアです。

シアノバクテリアは地球生命の英雄です。

その後継者は光合成をして酸素を放出する植物です。

その植物を助けているのは菌類とりわけ菌根菌です。

<人工的放射性物質の危険性>

原発から放出される

放射性セシウム137やプルトニウムは、

人工的な放射性物質です。

地球には存在しない物質です。

そしてその半減期は

放射性セシウム137-----30年

プルトニウム-----------2万4000年

<原発廃止が唯一の道>

このように考えると、

原発は、

地球の自然生態系の原点に対する挑戦ということができます。

地球規模の放射線防御システムは、

地球生命が40億年かけて作り上げました。

人間が壊したり修復したりできるわけがありません。

それだけではありません。

地球自身も磁場を作り、

宇宙線が地球に侵入することを防いでいるのです。

世界各国に広がる原発は

地球と地球生物が

40億年以上もかかって作り上げた地球防衛システムを、

一瞬にして台無しにする可能性があります。

経済や生活の便利さと放射能問題を天秤にかけて、

原発問題を論じようとする考えもあります。

しかし比べることができないものを、

何回天秤にかけても

測ることはできません。

人間の知性はこのようなときのためにあるのです。

進んでも退いても、これまでの代償はすでに限りなく大きい。

しかし進めばさらなる破局が待ち構えている。

日本列島の美しい山河と海を取り戻すために

日本は原発ゼロを宣言し、

新しい道に向かって進み始める

すでに作られた膨大な原発施設と放射性廃棄物は

数万年以上にわたって人間が管理するのです。

そして{世界に向かって

「原発のない地球を作りましょう」と呼びかける。

それが日本が歩むべき唯一の道と思います。



東京ボロ市「ブナの店」2015~2016

開催日 2015年12月15日、16日 / 2016年1月15日、16日
場所 東京世田谷のボロ市通り(世田谷線上町駅又は世田谷駅下車すぐ)
問い合わせ
   -東京世田谷連絡事務所 03-3420-8629 野田
   -八幡平ブナ守る会   019-651-1760 白藤(岩手県盛岡市)  

日本列島の自然は地球の宝です。

 ブナの森は日本の自然の象徴です。

ブナの種131216_1114~01.jpg

2015年度特別キャンペーン

2013年秋、8年ぶりにブナの種が大豊作になりました。昨年は凶作でしたが、今年は予期せぬ豊作になりました。

今年は大切に保存していたブナの種や
ブナの木の稚樹(ブナノキの子供)を
たくさん店に陳列配布できそうです。
お楽しみに


開催日  2015年12月15日~16日開店、2016年1月15日~16日開店
開店時間 午前9時~午後8時頃まで

場所 東京世田谷のボロ市通り

地下鉄駅の三軒茶屋で世田谷線に乗り換え、
上町駅又は世田谷駅下車すぐ。

ブナの店は代官屋敷やボロ市本部近くの便利な場所にあります。


ブナの木は日本の原生林の象徴的樹木です。
ぜひ庭木や盆栽に育ててください。
入手希望者はぜひお立ち寄りください。

首都圏でも育ちます。
庭、ベランダ(鉢植え)、ビルの屋上などで育てます。
毎日が楽しみになります。


  • ブナの店
ボロ市ブナの店

ブナ林の大切さを広く伝えるために、開かれています。
当会は1997年より毎年ブナの店を東京ボロ市に開店しています。
人々の楽しい交流の場ともなっています。

世田谷住民の支援を得て、手作り店舗を開設し、
ブナ林の解説資料やブナの苗木や種・手作り作品の展示販売もしております。
撮影年月2009.12.15

岩手の自然やブナ林の紹介、葛根田の種から育てたブナの苗木販売をしています。
ボロ市見学の際はお立ち寄りください。

  • 交通案内
鉢植えブナ苗木

日時 毎年12月15日16日と1月15日16日に開かれます。午前9時~午後9時まで
場所 東京世田谷のボロ市通り

地下鉄三軒茶屋で世田谷線に乗り換え、上町駅又は世田谷駅下車すぐ。

ブナの店は代官屋敷やボロ市本部近くの便利な場所にあります。


スピーカーで呼びかけ

ボロ市は、楽市の400年以上の伝統を継承する東京で一番大きな市です。700店舗の露店が集まり、連日20万人が訪れます。

中学生も応援

ブナの苗木は、盛岡市民が自然観察会の折に、葛根田の森から種を拾って、盛岡市郊外にある、守る会の畑で育てたものです。苗木の生まれ故郷は葛根田川源流部というわけです。

庭に植える、鉢植えにする、盆栽にする、林を作る、など多様な目的で植えることが出来ます。
普通に植えてよい。鉢植えや屋内の場合は乾燥に注意。

中学生も応援

700もの露天商が並ぶボロ市に一風変わったブナの店
近くの中学生も応援






  • ボロ市夜景
ボロ市ブナの店夜景

開店時間は午前9時から午後9時まです。
夜遅くまで人が途絶えることはありません。







ボロ市ブナの店夜景

寒い季節ですが楽しいこともいっぱいあるよ。

  • 熱海のブナたち
熱海のビル屋上のブナ

熱海のホテルの屋上で育てられているブナ
撮影 2004.4.21  大河原哲(熱海市)

会員・購読者からの手紙 熱海市大河原さんのおたより(2004.4.21)
葛根田のブナたちは、もう目を覚ましましたか。熱海のブナたちは、みんな元気に春を迎えました。種から生まれたブナも4才になりました。これから半年、元気に育ってほしいと願っているわたしです。

(返事・葛根田のブナは、雪が解けはじめる6月上旬に芽が出てきます。盛岡・白藤)

会員・通信購読者からの手紙 熱海市大河原さんから(2001.3.23)
「ちょっとうれしいことがありましたのでおたよりします。ブナの種をポリ鉢に蒔いたところ一本芽が出てきました(2・25)。それを皮切りに、今では6つも芽が出ており(3・20)、あと2本も種が土から持ち上がっており、発芽予定です。毎日ブナの成長を見るのが楽しみです。

目の前が熱海の海で、その屋上の鉢でどこまで育つか気がかりです。
土は近くの雑木林からです。
それとブナの苗木を植えたのは(3年前に2歳)いま新葉が展開中です。今年のボロ市に持って行こうかと思っています。」

  • 東京のブナたち
東京のブナ

写真は東京葛飾区の会沢修さんの自宅。1993年にブナ全国集会東京明治大学開催の折、当守る会から種を購入したもの(7歳、140cm)。




  • 「三宿の森緑地」(7958㎡)が開園  開園日2004.4.1
       東京都世田谷区三宿(三軒茶屋駅下車徒歩15分)

 葛根田のブナの苗木も記念樹に

画像の説明

三宿の森の10年後



画像の説明  画像の説明
ブナを植える世田谷の人たち 2004.3.21


国(法務省)の土地が、世田谷区に移転され、その活用方法が問題になりました。地域住民の方々の数年間に渡る努力によって、世田谷区民の憩いの緑地・防災の緑地として活用されることになりました。そして開園記念樹としてブナの苗が植えられることになりました。地域住民の皆様方とボロ市ブナの店世田谷連絡事務所さん、たいへんありがとうございます。


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ブナの森と日本列島の自然は地球の宝


日本とはどんな国ですか?

日本列島の脊梁山脈にはブナの森が広がり、
海には暖流と寒流が流れ、魚たちがいっぱい泳いでいます。
南の島にはサンゴの海が広がっています。
人々はその自然の恩恵を受けて暮らしています。

実は、
日本の豊かな田園の風景も
日本の経済力の秘密も、
この美しい日本の自然に守られているおかげなのです。

ブナの森はなぜ大切なのですか?

  • ひとつはブナの森は動物や人間にたくさんの恵みをもたらしてくれるからです。
  • もうひとつは長い地球の自然の歴史を伝えているからです。

かつては世界各地にブナの森が隔離分布していましたが、
いまではほとんどが失われるか小規模になってしまいました。

例えばヨーロッパブナとかオリエントブナとか
中国ブナとか、アメリカブナとかです。

日本でも戦後の高度成長期に乱伐され、
今では、大面積のブナ林は、
八幡平(はちまんたい)や白神山地などに
残されているにすぎません。

ですが中小規模のブナ林は、
北海道南部から本州・四国・九州まで
今でも各地の深山に転々と残されています。

その森を再び拡大再生して行ったら素晴らしいですね。

例えば、東京の水も
利根川源流部などのブナ林地帯から流れてきます。

ブナの森は地球のどこで生まれたのですか?

ブナ属は、3千万年以上前の古第三紀(旧成紀)という暖かい時代に
北極圏で生まれました。

もしかしたら、もっと前の
6600万年以上前の白亜紀後期かも知れません。

その後地球が寒冷化してくると
北極を旅立ち、次第に南下を開始しました。

氷河時代にはさらに南下しました。

(その後も寒冷化、温暖化という
地球規模の気候変動に対応するように南下や北上を繰り返し
現在では、日本列島などに定着しています。)

アジア大陸、ヨーロッパ大陸、アメリカ大陸にも
離れて分布しているのは、南下の歴史が反映しているためです。

氷河時代が終わると、温暖化が進み、今度は北上を開始し、
日本では縄文時代が到来し、現在のようなブナ林分布になりました。

日本のブナの森は、なぜ地球の宝なのですか?

  • かつて遠い昔、北極圏には北極の森が広がっていました。

ブナの森は3000万年以上前の北極の森(落葉広葉樹林)を伝えています。

ブナの森は、その長い地球の歴史を伝える宝石なのです。

  • それともうひとつ、日本列島の自然は、極めて多様性のある自然で構成されています。そのため人間や動物に多くの恵みをもたらしてくれます。

ブナの森やサンゴの海で象徴される日本列島の多様な自然は
地球の自然が育んだ、地球の宝なのです。

追伸

もっと知りたい方は
東京ボロ市「ブナの店」2014~2015にお出でください。
日時 2014年12月15日~16日と2015年1月15日~16日に開店します。

(記:八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会:白藤力)






ニュース・お知らせ [#k3d1a080]



菌根菌の世界

菌根菌の世界」発刊 八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会

岩手日報

「菌根菌の世界」発刊 ブナ原生林を守る会

窒素固定菌の世界

窒素固定菌の世界」発刊 八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会

窒素固定菌に焦点 盛岡でブナの会、冊子第3弾発刊 

岩手日報

「窒素固定菌の世界」発刊


ブナ林にニオイコブシの咲く頃

(筆・白藤力)

雪が解けはじめると山々にもようやく春が訪れる。

ブナ林ではニオイコブシが咲きはじめ、雑木林ではキタコブシが散りはじめる。

ニオイコブシの咲くブナ林

ブナ林にはまだ残雪がたくさん残っていた。

白い起伏をさえぎるように、無数のブナノキがくっきりと影を落としている。

ザックザックとその影を追いかけると、白い起伏がさらに遠くいっそうまぶしく光りはじめた。

するとどこからか、どこからともなく聞こえてくる音がある。

埋もれた枝が雪とたわむれる音のようにも聞こえる。

にぶい低音のメロディーのように、ザサッザーザサッザーと聞こえてくる。

ニオイコブシが咲いていた。

重たい雪を押し上げて飛び出すと、しなやかな枝がカモシカのように躍動する。

そのときから雪はみずみずしい流れとなって旅立ち、枝は芽をふくらませ白い花を咲かせるのである。

空を仰ぐと、すでにブナノキが芽吹いていてまぶしかった。

雪と枝がかなでるにぶい低音のメロデーがかすかに消えるようにこだましている。


カタクリ

雑木林ではカタクリが咲く頃、ブナ林では雪がきらきらと光りはじめる。

日を浴びた残雪の隙間から、カタクリが芽を出している。

その雪は雪原を走る野うさぎのように暖かいのだ。



原生林と里山

(筆・白藤力)

森林の変貌は人間社会の反映

ブナの原生林と、雑木林とでは、生えている木も草も花も、土壌も地形も、ずいぶん違う。

針葉樹人工林(木材生産林)になると、その違いはもっと大きくなる。


ブナの原生林には、はるかな森の歴史がある。

雑木林や里山には、遠い人々のなつかしい風景がある。

針葉樹人工林には、振動病に苦しんだ山林労働者の苦悩と経済の残影がある。

このような森林の変貌は、人間社会の反映でもある。


もうひとつの森

「ブナの原生林が絶滅の危機に瀕しているから残さなければならない。」

これは文化的な要求だともいえる。現世代の後世代に対する道徳的な責務だともいえる。

ところで、森林には一次林と呼ばれる原生的森林のほかに、生活や生産と結びついたもうひとつの森がある。

たとえば里山とか二次林といわれる森林である。

この森にも自然がある。

1980年代から今日までの私たちの運動は、原生的森林からの、そのまた一部の森からの、ささやかなアピールにすぎないのである。

「大部分を占めるもうひとつの森」は、どのような問題をはらんでおり、

そしていつ、どのような経過をたどって甦るのか。

それをだれかが問わなければならない。

(はるかなるブナの森 1994年 八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会発行より抜粋)



岩手山の森づくり

私たちはこの25年間、奥山に広がるブナ原生林保護運動を展開してきた。

それが8年前から岩手山の森再生運動にも取り組み始めた。

そのニュースは各方面に反響を呼んでいる。

そして今、岩手県の自然の象徴であり、石川啄木によって「ふるさ

との山」と歌われ、宮沢賢治によって「風さむき岩手の山」と歌わ

れた岩手山において、「大部分を占めるもうひとつの森」の問題に

とりくむことになった。

「ブナ原生林」から「もうひとつの森」への取り組みは、

私たちにとって自然な流れでもある。




ブナの芽生えとブナの大木


ブナの芽生え

ブナの芽生え

ブナの芽生え・アキトリ沢左岸尾根・葛根田川源流部・6月上旬


ブナの大木

ブナの大木

ブナの大木・南白沢左岸尾根・葛根田川源流部・900m付近・樹齢300年・6月下旬




ブナ林の風景

遠景・葛根田ブナ原生林


葛根田原生林-南東方面
遠景・残雪の道1・ブナ林観察会コース・遠方は高倉山から三角山の稜線・葛根田原生林・6月上旬
 

葛根田原生林-南東方面
遠景・残雪の道2・遠方は左から高倉山・(丸森)・三角山・ざる森の稜線・葛根田原生林・6月中旬


ブナ林がはぐくむ葛根田川

紅山桜の咲く葛根田川
ベニヤマザクラの咲く葛根田川 周辺はブナ原生林 6月上旬


ブナ林観察会風景写真

ブナ林観察会風景
ブナ林が続く登山道





葛根田川・玉川源流部森林生態系保護地域・周辺概念図

周辺案内図


エッセー・21世紀の自然と人間


非営利セクターと生命セクター

  ―はるかなるブナの森・葛根田川源流部から―

画像の説明

裏岩手観光道路の反対運動での自然観察会。「生命セクター」の価値を知り、体験することが、広範囲な保護活動へと結び付いた

岳人2002.5月号 通巻659号
2002國際山岳年リレー・エッセイ
白藤 力(八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会事務局長)

テンのいる滝

ふと思い出すことがある。あのテンのいる滝のことを。
その滝は光線にさらされてキラキラ光っているのに、流れてくる水には音がない。
小石の音がころがってきた。見上げるとテンがいる。はるかを見やっているテンがいる。やがてふさふさとした尾を光らせて、谷川深く消えていった。
その滝を登り、森をかきわけ、川を渡り、崖を登りつめると、木を切るチェンソーの音が聞こえてくる。人知れぬ森が、人知れず切り開かれようとしていた。
それから3年後、大きな世論が広がり、森は守られることになった。
あれから18年、流れ星のようにテンの記憶がよみがえってくる。

葛根田川源流部の保護運動

葛根田ブナ原生林を守る会は、これまで、原生林伐採反対・スキーリゾート建設反対・山岳観光道路建設反対という三つの大きなブナ林保護運動を展開し、いずれも凍結・撤回・断念という成果を獲得している。
これらの守る会の活動によって、岩手県盛岡市西方の原生林地帯において、千五百メートル前後の山が18、大きな川や沢が14、面積にして一万ヘクタール以上のブナ林が伐採や開発から免れた。秋田側の玉川源流部も含めれば一万六千ヘクタール以上の不伐の森が南八幡平山系に出現したことになる。その結果これらの中核部分は葛根田川玉川源流部森林生態系保護地域という国の原生林保護区に指定された。これらの成果がひとつの市民運動によって実現したというのは特筆に価する。
相手となった開発側は、第一に林野庁という国の行政、第二に大手ゼネコンという大企業、第三に岩手県という地方行政であった。この大手ゼネコンは最近5千億円という債務を残して破綻し国民を驚かせた。もしリゾート開発が進行していたら、荒廃した森だけが置き去りにされ、共同出資者の地元雫石町は多額の損害を招いた可能性がある。
最近NPO法が施行され、行政・企業・市民活動に関する新たな展開をみせている。そのため非営利セクターに関わる基礎的問題点の検討が焦眉の課題となっている。

生命セクター

(比ゆ)非営利セクターとは、比ゆ的に言えば、森のようなものであり、海のようなものであると言えるだろう。森も海も一言では言い尽くせない、不可思議の世界に満ち満ちている。森も海も、複雑性と総合性に満ちた世界なのである。
(木材生産セクターの登場)ところが人間は、例えば森の中から、ひとつのものを取り出し、そしてコピーできるように規格化し画一化し、そうすることによって合理的に活用しようとする。複雑で多様な森の世界から、ひとつのもの、例えば、柱に使う木材を取り出し、それをコピーできるように画一化し商品化し、大量に木材を生産しようとする。例えば、ひとつの山にリゾート目的でスキーコースを作る。そしてそれを規格化しマニュアル化し、向こうの山にもさらに向こうの山にもスキーコースやホテルを作る。こうして森や山に木材生産セクターやスキーリゾートセクターが形成される。
(生命セクター)それでは、残されたその他の森の世界は、何と呼んだらいいのだろう。非リゾートセクターなどと呼ぶほかはないのだろうか。生命セクターと呼んでみたらどうだろうか。こう考えると木材セクターやリゾートセクターは、いわば生命セクターから生まれ、さらにそれが画一化されマニュアル化された森の一部門なのである。
(忘れられた森)ところが次第に木材セクターから森を見る、リゾートセクターから森を見るという思想が蔓延し、いつのまにか森そのものの存在すら忘れ去られてしまう。言わば木材生産セクターやリゾートセクターにいかに役立つかという思想に取り付かれてしまうのである。
やがて乱伐やホテルの乱立によって、森という生命セクターが瀕死の瀬戸際立たされると、木材セクターもリゾートセクターも立ち行かなくなり、その段階に至ると、ようやく森を思い出そうという新しい思想が少しばかり芽生え始める。この新しい思想とは、複雑性と総合性と多様性に満ちた世界、すなわち生命セクターに回帰(単なる回帰ではないが)する思想のことなのではなかろうか。

画像の説明

葛根田ブナ原生林を守る会の市民運動によって1万6千haの原生林を守った。メグリ沢源流部の様子

非営利セクター

(非営利セクター)1998年にアメリカ社会の影響を強く受けてNPO法が制定された。NPOとは市民組織のことである。そこで問題とされる行政セクター・営利セクター・非営利セクターの関係も、上記の森の関係に似ている。もともと「人々の多様な活動」があったのであり、現にあるのである。そこから行政活動と営利活動(株式会社など)が生まれ、やがて行政セクターと営利セクターが形成される。そしていつのまにか人々は行政や営利の視点から自然や社会を見るようになり、ついには人間のことまでも、行政や企業にいかに役立つかという観点から見る思想に取り付かれてしまった。そして人々の多様な活動があらゆるものの源泉であるということをいつのまにか忘れてしまうのである。ところが行政の破綻と市場の失敗によって、行政セクターと営利セクターが危機に陥ると、ようやく「人々の活動」すなわち非営利活動の大切さに少しばかり気が付き始めるのである。
ところでNPO法の背景精神には極端な営利追求社会批判の見地があると見るべきだろう。その見地は日本の市民運動や住民運動が歴史的に培ってきたものである。生協運動や公害反対運動、阪神大震災のボランティア活動などと共に、とりわけ1980年代から今日まで大きく展開された全国のブナ原生林保護運動や山岳自然保護の運動がひとつの契機となって切り開かれたものと考えることができる。

(非営利セクターの未来)このように考えると、自立的な市民社会とかNPO活動という掛け声は、ごく自然なことであたりまえのことではあるが、長い変則的な歴史の変遷から見ると、未来のひとつの展望を示しているとも言える。
非営利セクターとは、多様な人間活動の中の生命セクターに関わる部門を意味し、NPO法はそれを経済活動の側面から制度化したと言うことができる。但し行政・企業・NPOの関係をどのように展望するかは、これからの経験の蓄積と論理的な分析にかかかっている。最近の非営利セクターの動向が、行政企業NPOの新しい関係をもたらすことになるのか、それとも行政企業にNPOも参加した新たな癒着構造をもたらすことになるのか。


葛根田川の雪カモシカ


画像の説明

ブナの調査で葛根田川源流部にわけいる白藤力さん。89年2月松沢右岸にて





白いカモシカの話なら聞いたことがある。
雪が解けはじめて、カタクリが咲きはじめる頃、雪のように白いカモシカが、雪のように白い二匹のこどもをつれて、切り立つような絶壁から、今にも落ちそうなほど首を伸ばして、しばらく川を見下ろした後、はるかな森の方へ渡っていくのだという。

その白いカモシカなら私も見たことがある。
かつて森が切られそうになった頃、ひとりの山人が声をひそめて話しはじめた。かっこんだ川源流部というところに、忽然と現れたあの白いカモシカのことを。人々は山の守り神だとうわさした。

あれから16年、生きているのか死んでしまったのか。


地球サミットと日本の原生林保護運動

登山時報2002.7月号
白藤力  八幡平・葛根田ブナ原生林を守る会 事務局長

ブナ林調査活動をする白藤力さん

岩手山のブナ林調査活動をする白藤力さん


あの森の、枝を渡る風の音が聞こえなくなったらどうしよう。あの生き生きとした谷川の流れや残雪の風景が見られなくなったらどうしよう。あのほのぼのとした山村風景が消えてしまったら。そう思いはじめたときから早くも十八年になる。

当時日本列島には原生林伐採の嵐が吹き荒れていた。すでに日本の原生的自然は残り少なくなっていた。一方知床や白神をはじめとして北海道から九州沖縄まで「原生林を守れ」の声が日本列島にこだましていた。八〇年代から九〇年代にかけて、森林自然列島か木材生産列島かリゾート列島かをめぐってきびしい戦いが展開されたのである。

葛根田川源流部もその一翼を担った。私たちは森林をめぐる自然と人間の関係を総体として捉え、それを世論に提起し世論を全体として動かすことに努力した。少なくともそういう精神で活動を進めた。

全国各地のブナ林保護の運動も大きく展開しつつあった。特に東北各地のブナ林保護運動は大きく展開され、大きな世論が形成されつつあった。日本勤労者山岳連盟の全国的なネットワークは、全国的な運動の展開に大きな役割を果たしたことも特筆すべきことである。

それらの結果、まずはじめに八幡平葛根田川源流部の伐採計画が凍結され(1987年10月3日)、次いで林野庁に「林業と自然保護に関する検討委員会」が設置された(1987年10月18日)。

翌年1988年12月その委員会答申で、知床、白神、葛根田、屋久島など日本の代表的な原生林の伐採が中止され、森林生態系保護地域という名の原生林保護区が全国26ヶ所に設定された。林野庁は世論に押されて原生林保護に緊急政策転換したのである。

それから四年後の九二年リオデジャネイロで地球サミットが開催され、持続可能な開発という言葉が若干の期待を抱かせて頻繁に登場するようになった。
私たちもカンパを集めブナ林のスライド写真を託して、八木健三「日本の森を守る全国連絡会」会長を送り出した。それから一〇年、ヨハネスブルグで再び地球サミットが開催されるという。

こうした環境分野での各国のあるいは国際的取り組みの一方で、極端な営利優先の地球が急速に進行しつつある。地球上のあらゆる生命の営みが貨幣に置き換えられつつある。膨大なお金と軍事力に支配された地球とそれを支える様々な思想と国際政治がある。地球規模の営利追求の世界に翻弄される国々や部族や多くの人々がいる。
地球規模の環境問題には、環境問題を超えたもっと巨大な力と歴史の流れがある。私たちは自然環境問題に取り組むだけでなく、近代の数百年あるいは数千年にわたる自然の歴史と人間の歴史を振り返ることから始めなければならないのではなかろうか。


生物界はどのように分類されるべきか

1)長いあいだ、生物界は植物界と動物界に2大別されてきた(2界説)。遠くアリストテレスの時代から、ヘーゲルなど18世紀の哲学者や学名の命名法を発案したリンネに至るまで、こうした2界説を受け入れてきた。
2)ところが2界説には、ひとつの疑問が付きまとっていた。それは菌類(キノコの仲間)の位置付けをめぐってである。手も足もないキノコを動物と言うわけにはいかないのであるが、葉がないキノコが植物だということにも一抹の不安があった。18世紀には、キノコは葉のない植物である(リンネ)とか、動物と植物の中間物である(ヘーゲルなど)などと説明され、教科書でもつい最近まで菌類は植物の一群として扱われてきた。
3)しかし生物学と周辺科学の発達につれて、すべての生物を植物と動物に分けることに無理が生じてきた。そしてこの2界説に訣別をもたらしたひとつの誘引は、不遇の日々を送っていた菌類の追跡者たちだった。菌類は植物の単なる変形物ではなく、ひとつの独立界だという主張である。
約10億年前に原生生物から植物と動物と菌類が分化し、そのときから菌類は一大生物群を形成し、記録されているものだけでも10万種に及び、その推定種数は50万とも150万とも言われている。
4)系統樹を作成したヘッケルは、植物・動物・原生動物の3界に分類していたが、20世紀も後半になると5界説の提唱者ホイタッカーによって菌類の独立界性が明らかにされた。ホイタッカーは、植物を有機物の生産者・動物を消費者・菌類を分解者(還元者)ととらえ、分解者としての菌類の物質循環における役割を解明した。5界説とは、生物界は原核生物界(バクテリア)・原生生物界・植物界・菌類界・動物界の5界に大別する分類体系である。
その後、先駆的な菌学者や林学者によって、森林と菌類の相互の関係は、森づくりの重要なテーマであることが主張されるようになった。そして菌類の界としての独立性は、近年脚光をあびている分子系統学によっても支持されているという。
菌学という個別分野の専門科学が、生態系という総合的な科学思想と結合したとき、はじめて生物の大枠についての新しい認識の転換をもたらしたというこの一連の歴史的経過も注目すべきことである。
市民による生態系を考えた森づくりを企画する上で、界の認識と多様性の認識は不可欠のテーマなのである。(多様性については次回)(筆・白藤力 2006.4.13)




資料編

八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会の活動紹介

雫石川上流葛根田川源流部における広大なブナ原生林の保護運動を主な目的として1987年に発足しました。

これまで、原生林伐採・リゾート建設・山岳観光道路建設という三つの大きなブナ林保護運動(開発反対運動)を展開し、いずれも凍結・撤回・断念中止という成果を獲得しています。

これらの守る会の活動によって、岩手山西方の原生林地帯において、千五百メートル前後の山が17、大きな川や沢が14、面積にして一万ヘクタール以上のブナ林が伐採や開発から免れました。

さらに1990年には三日間のべ1600名の参加を得て「原生林盛岡全国シンポジウム」(報告集・盛岡市立図書館)を開催しました。

日常の活動は、①葛根田原生林からの通信の発行。年2~3回。発行部数500部。②自然観察会や市民登山の開催。③市民の自然写真展の開催。④東京ボロ市でのブナの森の店開設と手作り作品教室。⑤苗畑とブナの苗木の育成。⑥シンポジウムやNPOゼミナールの開催。⑦ホームページの作成やパソコン教室の開催。⑧全国の保護団体との交流。⑨なお会員・通信購読者合わせて約400人。素朴な会です。10人前後の運営委員会で運営しています。いつも変化しようとしている。⑩なお「はるかなるブナの森」出版(購入先・盛岡てづくり村)


葛根田ブナ原生林を守る会活動年表


葛根田川源流部伐採計画反対運動

1984       葛根田林道に建設着手
1985       葛根田川源流部でブナ林の伐採始まる
1986.6.10    原生林研究会発足
1986.10.9    岩手県と対県交渉 現地レポート作成
1986.12.15    岩手県政記者クラブでアピール
1987.2.28    盛岡市で葛根田原生林シンポジウム開催
1987.3.28    八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会結成大会

(1987.4.14   林野庁が知床原生林で伐採強行・機動隊導入)

1987.5.31    第一回現地観察会(200名)

1987.10.3    林野庁が葛根田国有林伐採計画の凍結を発表

1987.10.18   林野庁が「林業と自然保護に関する検討委員会」を東京に設置

(1987.11月   白神山地で保安林解除に反対する意義意見書の提出運動展開される)

(1988.6    長野市で第一回原生林シンポ(ブナ全国集会)が開催される)

1988.12.7    知床・白神・葛根田など全国12地域が保護地域に指定される
         林業と自然保護に関する検討委員会が報告書を提出

(1989.    北海道斜里町で第2回原生林シンポ開催)
(1990.10.13~16  盛岡市で第3回原生林シンポ開催(ブナ全国集会)が開催される)

1990.10.5     葛根田川源流部森林生態系保護地域設定委員会第一回会合
          委員(白藤力、中村正、由井正敏、菅原亀悦など)
1991.4.1      「葛根田川・玉川源流部森林生態系保護地域」が発足


原生林盛岡全国シンポジウム

1989.12.20     ブナ全国集会の盛岡開催を呼びかける(葛根田原生林からの通信11号)
1990.1.14      岩手県実行委員会準備会発足(12団体22名)
1990.1.28      東北ブナシンポ・東北規模実行委員会準備会発足(23団体55名)
1990.4.1      「原生林盛岡全国シンポ実行委員会」結成大会(東北規模)(34団体60名)
           (事務局 葛根田ブナ原生林を守る会)
1990.10.13~15    ブナ・原生林・自然を守る全国集会(24都道府県から773名)
1991.2.1       大会報告集を出版(1800円、3000部)


国見スキーリゾート計画反対運動

1989.4      雫石町民から荒沢源流部・安栖沢源流部ブナ林保護を守る会にアピール
1992.2.12      守る会が情報公開の請求
1992.3~4     守る会が開発会社、雫石町、雫石営林署、岩手県と相次いで会談
1992.5.31      第一回現地観察会(100名)ヘリコプター2機飛ぶ(守る会とテレビ朝日)
1992.6.20      国見スキー場シンポジウムを開催(100名)
1992.8.28      雫石町が諮問委員会を設置(委員 白藤力、上野靖雄、藤井忠志など)
1992.9.1~18     市民の自然写真展を開催
1992.12.11     同諮問委員会が早期実現の答申
1993.3.1      反対署名運動を開始
1993.6.28      一万名を超える反対署名を提出(10727名)
1994.3.11      林野庁に要請活動

1996.8~10      雫石町と開発会社が相次いで断念を表明


一般県道雫石東八幡平線(通称・奥産道)建設反対運動

  • 第一期(前史)
    1965      岩手県が一般県道として工事着手
              (奥地産業開発道路臨時措置法に基づく国庫補助事業)
    1971        工事中断(当時の自然保護団体の反対によって)
    1984        工事再開
    (山頂部トンネルとする案が当時の自然保護団体を含む行政と関係者の合意で採用される)
    1985~1996     大松倉橋を建設し、さらに3キロ進み、トンネル建設予定現地(三ツ石湿原約1キロ手前)まで進む。
  • 第二期(葛根田ブナ原生林を守る会の反対運動)
    1996.7.25   トンネル工事現場付近で原生林破壊事件発覚
    1996.7.28  八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会が建設反対運動を開始
            守る会が現地緊急調査 工事ストップ
    1996.8.9   岩手県知事に中止要望書を提出(復旧対策と工事続行断念を要請)
    1996.9.21  奥産道の自然を考えるシンポジウムを開催(100名)  
    1996.9.29 第一回現地観察会(110名)
  • 第三期(道路検討委員会の活躍)
    1997.5.21  県が検討委員会を設置 委員 村井宏岩大教授 永野正造守る会長など
    1998.1.29    県民意見発表会を開催
    1998.3    岩手山が火山活動を開始 98.8.20 同検討委が提言を答申
    1998.9.3   葛根田ブナ原生林内で断層地震発生(M6.1)
             守る会6人が現場近くを調査登山中。温泉客と共にヘリで救出される
    1998.9.18   守る会が震度6を語る会を開催
  • 第四期(岩手県土木部の活躍)
    1998.9.30   県知事が11月中に結論を出すと表明
    1998.10.22   土木部が代替案を発表
    1998.11.2    土木部が県民から意見を聞く会を開催
    1998.11.4    土木部がアンケート調査を発表
    1998.11.9    知事が11.18に決断と発表
  • 第五期(守る会の活躍と知事の断念表明)
    1998.11.11 守る会が緊急活動計画を発表
    1998.11.12 守る会が15項目の緊急要請書を岩手県知事に提出
             全国20団体とともに(大雪の自然を守る会、長野県自然保護連盟など)
    1998.11.14 守る会が松川工区の緊急現地調査(豪雨)
    1998.11.16 守る会が緊急市民集会を開催 3項目のアピール採択
    1998.11.17 守る会が3項目のアピールを県知事に提出
    1998.11.18 岩手県知事がトンネル建設工事目前にして工事中止を表明
  • 第六期(建設済み部分80%の活用方法をめぐって)
    2000.8.30 同道路活用検討委員会設置
     委員18人 安藤昭岩大教授、上野靖雄、白藤力、中村正、高橋一行、由井正敏、菅原亀悦、林敦子、内澤稲子、幸丸正明、中原祥皓、佐藤義正、矢羽々文一郎、矢羽々昭夫、川口善也、佐々木正四郎、福島雅喜、関山和敏
    2000.11.11   守る会が市民サイドシンポジウムを開催
    2001 県の委員会が原生林保護を重視する答申を提出/4キロ手前(大松倉橋)でマイカー規制




入会案内

入会案内――――――八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会
八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会 
〒020-0064岩手県盛岡市梨木町4-30白藤力(方)tel 019-651-1760
Eメールアドレス hachimantai★bunarin.com (★を@に変えてください) 
ホームページアドレス(URL)http://kakkondagawa.bunarin.com/ 

①守る会の紹介
守る会は市民の交流の場です。ネットワーク型の緩やかな会です。
機関紙「葛根田原生林からの通信」を発行しています(年2~3回発行)。
会員は北海道から九州まで約350人。ブナの原生林をテーマとする多様な活動を展開中。会員(通信が送られる)や通信購読者を募集しています。 

②会費
会員            年会費  1000円(通信購読費を含む)
通信購読者(メール会員)  年購読費 1000円

③運営
10人前後の運営委員が必要に応じて運営委員会を開催。 誰でも参加できます

④多様な市民活動を展開中
自然観察会の開催、登山、沢歩き、        毎年7~8回
ブナの森の店開設(東京)            1997から毎年開催
市民の自然写真展の開催             1998 から毎年開催
健康ハイキング、温泉旅行            時々企画
シンポジウム、講演会、学習会          時々企画
手作り作品教室、パソコン教室          時々企画
植樹活動、ブナの苗畑育成、ブナの苗木販売    毎年企画
岩手山の森再生運動               2002年から森づくり
日本の森と自然を守る全国集会        毎年参加

⑤申込書
氏名
住所 〒
電話
ファックス
eメール
メモ欄(趣味など) 




岩手山の森づくり



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